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ナウル

概要
正式国名 ナウル共和国(Republic of Nauru)
人口 約1.4万人(2017年,世界銀行)
民族 ミクロネシア系
宗教 キリスト教
1人当りGNI 10,220米ドル(2017年,世界銀行)
電話の国番号 (674)+(相手先の番号)
面積 21.1k㎡
首都 ヤレン(Yaren)
主要言語 ナウル語・英語
政体 共和制
通貨 豪ドル

 ナウルは東京とオークランド(ニュージーランド)のほぼ中間、東経166度、赤道の南 42kmの位置にある。国土面積は21k㎡であり、伊豆黄島の約4分の1の大きさである。 一周19kmの一つの島でできた国家であり、中央部は燐鉱石の台地になっている。日本に とっては、バチカン市国、モナコ王国に次ぎ世界で3番目に国で面積の小さい独立国である。

歴史

 ミクロネシアの様々な島からナウルに人が渡ってきたと考えられているが、その具体的な時期は分かっていない。1798年に英国の捕鯨船ハンター号(Hunter)のジョン・フェーン(JohnFern)船長が、西洋人として初めてナウルに到達し、この島を「心地よい島(PleasantIsland)」と呼んだと言われている。その後、1888年にドイツ領となり、その頃から「ナウル」と呼ばれるようになる。1890年代後半にナウルで燐鉱石が発見され、1900年代に入ると本格的に燐鉱石の採掘が始まるようになった。1914年に第一次世界大戦がはじまると、その11月にはオーストラリア軍により占領され、大戦後の1920年にナウルはオーストラリア、ニュージーランド、英国による国際連盟の委任統治領となった。その後、1941年12月の太平洋戦争勃発直後より、旧日本軍による爆撃が始まり、1942年8月にナウルは旧日本軍により占領された。1943年6月には旧日本軍により1,200名のナウル人がトラック島(現ミクロネシア連邦チューク)での労働力として強制移送が行われた。移送された者達の中には、後にナウル初代大統領となるデロバードも含まれていたという。1945年8月に太平洋戦争が終結すると、翌1946年1月31日にはトラック島より737人のナウル人が帰還した。そして1947年11月、ナウルはオーストラリア、ニュージーランド、英国の3国を施政国とする国連信託統治地域となった。この信託統治は実質的にはオーストラリアによるものであった。その後徐々に採掘による国土の荒廃や採掘料支払の問題から独立の機運が高まり、1968年1月31日についにナウル共和国として独立することとなった。初代大統領にはデロバードが就任した。

地理

 1つの島からなっており、140~280mの幅で帯状に平地が島の周りをめぐっている。島の中央部は海抜60mに達する燐鉱石からなる台地となっている。既に燐鉱石の大部分は採掘され、残された珊瑚柱が一面に広がっている。

政治

 ナウルには政党は存在せず、政策課題よりも親類関係や個人の人脈が重視され、派閥が形成される傾向にある。2003年以降、燐鉱石の枯渇の問題に加え、公務員への給与未払いやOECD諸国からオフショア・バンキングによるマネーロンダリングに関与していることに対する懸念が向けられた結果、ナウルは財政危機を迎える。議会においても大統領指名に関して多数派工作が行われ、短期間の政権が続いている。外交の上では、地理的近接性から、豪州・NZをはじめ太平洋島嶼国との結びつきが強い。また中国と台湾の間で外交関係をしばしば変更するケースが起きている。ナウルは台湾と外交関係を有し、当初はナウルに台湾大使館が設置されていた。2002年7月、台湾との外交関係を断交し、中国と国交を樹立した。しかしながら、2005年5月、台湾との外交関係を再樹立した。

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