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トンガ

概要
正式国名 トンガ王国(Kingdom of Tonga)
人口 103,252人(2011年国勢調査)
民族 ポリネシア系
宗教 キリスト教(プロテスタント、モルモン教、カトリック等)
GDP 4億3,438万米ドル(2014年世界銀行)
通貨 パ・アンガ(Pa’anga)(トンガ・ドル=T$)
電話の国番号 (676)+(相手先の番号)
面積 747平方キロメートル(2015年国際連合)
首都 ヌクアロファ(Nuku’alofa)(人口36,045人、2011年国勢調査)
主要言語 トンガ語、英語
政体 立憲君主制
一人当たり
GDP
4,114米ドル(2014年世界銀行)
通貨レート 1パ・アンガ=51.06円(2016年2月3日時点)
 南太平洋のポリネシアに属するトンガ王国は日付変更線のすぐ西に位置し、経済水域約362,000㎢に無人島を含め大小170余の島々が4つの諸島を構成している。周辺の島々が次々とヨーロッパの列強国の支配下に置かれてきた中で、過去に一度も植民地化されず、現在まで王制が残る唯一の国である。陸地面積の合計は747㎢で日本の奄美大島(712㎢)の大きさに近い。

 4つの諸島は南からトンガタプ(Tongatapu)、ハアパイ(Ha’apai)、ババウ(Vava’u)、ニウアス(Niuas)で、政治経済の中心は首都ヌクアロファを擁するトンガタプである。陸地面積260㎢のトンガタプ島の人口は75,416人(2011年国勢調査)で、総人口の約70%が居住している。 トンガタプ島の北約275㎞にあるババウ島はトンガの北の玄関として栄えており、中心地であるネイアフの港は「PortofRefuge」の名で世界的に有名で、ヨットマンの憧れの地となっている。また、ババウ島の豊かなサンゴが生息する海は非常に美しく、多くのダイバーを魅了している。

歴史

●先史時代 

トンガに初めて定住したのはラピタ文化を持つ人々であったとされる。ラピタ文化の拡大の経路はフィリピン、ニューギニア、バヌアツ、そしてフィジーを経由し、紀元前850年ごろにトンガに到達し、その後約1000年間継続したと考えられている。

●王国の成立 

紀元950年ごろ、空の神タンガロアの子である初代トゥイ・トンガ(Tu’i Tonga)がトンガを統一し、最初の国王となったと伝えられている。「トゥイ・トンガ」という王位は世襲で父から子へと引き継がれたが、第24代トゥイ・トンガが、自身の弟を初代トゥイ・ハアタカラウアに任命し、政治的な職務を任せ、自身は宗教的な職務のみを担い、さらに第6代トゥイ・ハアタカラウアが、息子の一人を初代トゥイ・カノクポルに任命し、トンガタプ島の西半分を治めさせたことで、3つの王朝による分立国家の時代が始まった。

●ヨーロッパとの接触 

トンガに初めてヨーロッパから船が接近したのは1616年とされている。2人のオランダ人がニウアス諸島を発見し、食料を入手したことが記録されている。1643年には同じくオランダ人船乗りで冒険家のアベル・タスマン(AbelTasman)がトンガタプ島やエウア島(’Eua)、そしてハアパイ諸島に上陸している。 海洋探検家として有名なキャプテン・クックがトンガの島々を訪れたのは1773年になってからで、トンガタプ島とエウア島で数日間を過ごしている。翌1774年の再訪に続き、1777年には3度目となるトンガ訪問を行っており、この時には2ヶ月の滞在が記録されている。クックはトンガで受けた人々からの親切に、この島を「友情の島」(FriendlyIslands)と名付けてヨーロッパに紹介した。トンガタプ島にはこのキャプテン・クックの上陸を記念した石碑が建てられている。

●王朝の統一とキリスト教 

1800年頃から内戦時代に入り、3つの王朝により統治されていたトンガは、第18代トゥイ・カノクポルの又甥であったタウファアハウ(Taufa’ahau)がキリスト教の影響を受けたことで大きな変化を遂げることになる。1831年にキリスト教に改宗したタウファアハウは、イギリス国王の名前に因んでキング・ジョージ(KingGeorge)を名乗り、1845年に大叔父からトゥイ・カノクポルの王位とともにトゥポウ(Tupou)姓を継承し、第19代トゥイ・カノクポルとなるとともに、国王ジョージ・トゥポウ1世となった。内戦により命を落とした第16代トゥイ・ハアタカラウア以後、トゥイ・ハアタカラウアのタイトルの正式な王位継承者がいなくなっていたことに加え、1865年の第39代トゥイ・トンガの崩御を機に、トゥポウ1世はトゥイ・カノクポル以外の2つの王位を廃止し、トンガを統一した。トゥポウ1世の後を継いだトゥポウ2世が45歳の若さで没すると、当時18歳だったマフィレオ・ピロレブが王位を継承し、サーロテ・トゥポウ3世として王国を統治することになった。サーロテ女王は1965年、長く病床にあったニュージーランドの病院にて崩御されたが、今でも国民に親しまれ、サーロテ女王が作った歌は、現在でも歌い継がれている。

●トゥポウ4世と民主化運動 

1965年のサーロテ女王の崩御により、その長男シャオシ・タウファアハウ・トゥポウラヒがタウファアハウ・トゥポウ4世として王位についた。トゥポウ4世は、直系の第22代トゥイ・カノクポルであると同時に、父トゥンギを通じてトゥイ・ハアタカラウアの血筋を引いており、妻となったハラエバル・マタアホ王妃はトゥイ・トンガの血筋を引いていたことから、その子女たちは複数の王朝による統治となって以来初めて3王朝全ての血統を有したことになる。 1970年にはトンガはイギリス連邦に加盟し、1900年から続いたイギリスの保護領時代に終止符を打ち独立国となった。1990年代に入ると、国民の間から民主化を望む声が大きくなり、議会にも民主化促進に賛成する動きが見られるようになった。1992年には「民主主義支持運動」の名で政治グループが組織され、議会でも平民に割り当てられた議席の過半数を占めるなど影響力を有するようになっていった一方で、平民総議席数と同数を有する貴族議員により、民主化運動には歯止めがかかっていた。2006年11月にヌクアロファ市街地で発生した暴動騒ぎは、政治体制改革の遅れに抗議した民主化推進派によるデモに端を発し、政治的背景を持たない若者が合流して広がったと伝えられている。

●トゥポウ5世による選挙制度改革 

2006年9月にトゥポウ4世の崩御を受け、その長男がジョージ・トゥポウ5世として即位し、2008年に戴冠式が執り行われた。式典には各国の王室等からも要人が出席し、日本からは皇太子殿下が出席された。トゥポウ5世は国家元首としては留まりつつも、26の国会議席のうち、大幅に平民議員の議席数を増やし17議席とすることを含む、より民主的な選挙制度への改革を承認し、推進した。 新制度による総選挙が2010年に実施され、トンガが新たな時代を迎えた矢先の2011年、トゥポウ5世は病に倒れ、翌年3月に香港の病院で崩御された。

●トゥポウ6世の即位と戴冠式 

トゥポウ5世は未婚であったため、王位は弟であるトゥポウ6世が引き継いだ。2015年に執り行われた戴冠式には、各国要人が出席し、日本からは皇太子・同妃両殿下が出席された。

 2014年に実施された総選挙では、新しい選挙制度になって初めての民間出身の首相である、アキリシ・ポヒヴァ政権が誕生し、新時代を迎えている。

地理

 トンガ王国はニュージーランドの北約2,000㎞、フィジーの南東800㎞、赤道とのほぼ中間地点にあり、経済水域を日付変更線が縦断している。南北に約1,000㎞、東西約500㎞の海域に散らばる島々は、トンガタプ、ハアパイ、ババウ、ニウアスの主要な4つの諸島で構成されている。トンガタプ島の北北東約150㎞にハアパイ諸島があり、その北約120㎞にはババウ諸島がある。さらにババウ諸島から北約300㎞にニウアスのひとつニウアトプタプ島があり、その西200㎞にニウアフォオウ島がある。

政治

 トンガは立憲君主国であり、国王の統治の下に国政が行われているが、近年民主化の動きも活発化している。議会は1院制で、貴族内の互選による貴族議員9名と総選挙で各選挙区から選出される平民議員17名の計26名で構成され、任期は4年である。2010年の選挙制度改革までは、首相及び閣僚は全て国王が指名していたが、現在、首相は議員選挙により選出され、閣僚は首相の指名制となっている。 2014年の総選挙で選出されたアキリシ・ポヒヴァ首相は、初めて選挙で選出された民間出身の首相で、これまで長年にわたり民主化を推進する政治グループを率いてきており、今後の動向が注目される。 外交面ではイギリス連邦の一員である一方、南太平洋の域内協力の推進にも熱心であり、また、1998年11月には台湾との関係を終了し中国との外交関係を樹立している。
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