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フィジー

概要
正式国名 フィジー諸島共和国(Republic of the Fiji Islands)
人口 827,900人(2007年フィジー統計局(暫定値))
民族 フィジー系(54.3%)、インド系(38.16%)、その他(7.5%)(2004年調査)
宗教 キリスト教(52.9%)、ヒンズー教(38.2%)、イスラム教(7.8%)
1人当りGDP 3,630米ドル(世銀2006年暫定)
電話の国番号 (679)+(相手先の番号)
面積 18,270k㎡
(四国とほぼ同じ大きさ)
首都 スバ(Suva)
主要言語 英語(公用語)、フィジー語、ヒンディー語
政体 共和制
通貨 フィジー・ドル
 フィジー諸島共和国の主島ヴィチ・レヴ島は、オーストラリアのブリスベンの東北約3,100km、ニュージーランドの北2,100kmほどの位置にある。330余りの島々から成り、土地の総面積は四国とほぼ同じである。最も近い太平洋島嶼国のトンガは770km離れた東に、西のバヌアツは1,100km離れている。 太平洋で最も人気の高い観光地の一つであるフィジーは、質の高い旅行を求めるリゾート派から行動派のバックパッカーまで、すべての旅行者の要望に応えられるものを備えている。また、太平洋の国々と地域で構成される地域協力のための国際機関、太平洋諸島フォーラム(PacificIslandsForum,PIF)事務局や南太平洋大学(USP)がフィジーに設置されているなど、南太平洋の中央に位置するフィジーは広い陸地とその豊かな資源によって周囲の国々に大きな影響力を持っている。 どこまでも続く白砂のビーチ、青く透き通るサンゴの海、山には競うように咲き乱れる花々、旅人を温かく迎えてくれる素朴な人々、素晴らしい食物、メラネシアとポリネシアの文化、さらにインド文化が混じりあって独自の文化をつくりだしている。 フィジーを訪れる人々は、透明度の高い海や洗練されたリゾート・ライフを満喫するだけでなく、南太平洋の国々に残る独自の伝統文化に出会えることを、その魅力のひとつにあげる。 主島のヴィチ・レヴ島は東西146km、南北106kmで、その南東部に首都スヴァがあり、西部には観光の中心地ナンディとフィジー第1の空港ナンディ国際空港がある。スヴァとナンディはヴィチ・レヴ島の南部を走る全長211kmの舗装道路クイーンズ・ロードと東側を走る全長265kmの一部未舗装のキングス・ロードで結ばれている。
歴史

 

●先史時代 

 

フィジーの遠い祖先は紀元前1500年頃に東ソロモンやバヌアツ方面から移住してきたと考えられており、パプアニューギニアに芽生えたラピタ文化を長い年月をかけてその後東へ広げていった。最初の移住者は海沿いに住んで漁を中心の生活を営んでいたが、紀元前500年頃になると人口の増加もあって農業にも力を入れるようになった。農業が中心の生活になってくると必然的に土地を重要視することになり、この頃から部族間で土地を巡る争いが多くなってきた。

 

 部族間の戦闘行為は部族を統率する首長の権限を強化することになり、次第に首長の権限が絶対化するようになっていった。しかし、首長は原則として親から子どもへの世襲制ではなく、通常は首長の兄弟そして次の世代に引き継がれることから、一族の中での指導権争いも激しかった。さらに、一夫多妻が複雑な相互関係を作り出していった。

 

●ヨーロッパとの出会い 

 

最初にフィジーを訪れたヨーロッパ人は東インド会社のアベル・タスマンで、オランダからインドネシアへの航海の途次、1643年のことだった。次いで1774年に、キャプテン・クックがトンガへ行く途中にフィジーの東の端にあるラウ諸島(LauGroup)を訪れている。しかし、この両者ともフィジーの主島ヴィチ・レヴを確認したわけではなかった。ヴィチ・レヴを確認した最初のヨーロッパ人は1789年のバウンティ号の反乱で知られるキャプテン・ウイリアム・ブライである。キャプテン・ブライは乗組員の反乱の際48日間ボートで漂流するうちに、フィジーの39の島を確認して地図に記載している。 ヨーロッパ人がフィジーに本格的に進出するのは19世紀に入ってからで、それまではフィジー諸島に住む人々は好戦的であり、航海者に敬遠されていた。

 

●貿易商と部族間の対立 

 

19世紀に入ると捕鯨船の寄航が始まり、さらに白檀やナマコの貿易が盛んに行われるようになった。しかし、この貿易によってフィジーに銃器が多量にもたらされたことから、部族間の対立の深刻化と激しい戦闘が繰り返されるようになった。この激しい戦いを勝ち抜いたのがバウ族の首長ザコンバウ(RatuCakobau)で、彼はトンガの軍隊の支援を得て抗争に終止符を打ち、フィジー全土の統一に成功した。

 

●植民地時代 

 

1871年、ザコンバウはフィジーの王として英国政府に認められ、3年をかけて行政組織を確立した。1874年10月に英国にフィジーを譲渡し、正式に植民地となった。首都をヴィチ・レヴ島の東に位置するオヴァラウ島のレヴカに定め、96年間に及ぶ植民地の時代が始まった。 1875年に英国からアーサー卿が総督として着任し、やがてフィジーの主産業としてサトウキビの栽培を開始した。労働力の不足はインドから出稼ぎ労働者を送り込むことによって補った。これが今日でもインド人の人口がフィジーの総人口の40%近くを占めるに至った原因である。一方、植民地政府は土地の外国人への売買を禁止したことから、土地に関しては83%が今日でもマタンガリと称するフィジー人の地域共同体によって所有されている。 1882年首都レヴカは人口の増加に耐えられなくなり、首都を現在のスヴァに移した。

 

●太平洋戦争から独立へ 

 

1942年から43年にかけて、約8,000人のフィジー軍はアメリカとニュージーランドの指揮下に入り、ソロモン諸島で日本軍との戦闘に参加した。 1970年10月10日、英連邦30番目の加盟国となり念願の独立を果たした。初代首相に故カミセセ・マラが就任した。1987年5月と9月に軍事クーデターが発生して共和制に移行し、さらに、98年7月に国名を、それまでの「フィジー共和国」から「フィジー諸島共和国」に変更して現在に至っている。

地理

 フィジー諸島は南緯12度から21度、東経177度から西経175度に位置し、180度の子午線がヴァヌア・レヴ島の東にあるタヴェウニ島を通っている。フィジー諸島は、面積10,390km2のヴィチ・レヴ島(VitiLevu)から直径数mの小島を含む332の島(内222は無人島)で成り立っている。ヴィチ・レヴ島に次いで大きいのはヴァヌア・レヴ島(VanuaLevu)で面積は5,538km2、3番目はタヴェウニ島である。小さい島は一般にサンゴあるいは石灰岩によって形成されたものであり、一方、大きい島は火山がその起源となっている。主島ヴィチ・レヴは、まだ若干の火山活動を示している。フィジーの最高峰はヴィチ・レヴ島の北部にあるTomanivi山(Mt.Victoria)で標高1,323m。

政治

 現行憲法の下では、大統領は伝統的社会 指導者大会議(GCC)によって任命される。 首相は下院の過半数の支持が得られると思 われる下院議員を大統領が任命、その他の 大臣は首相の助言に基づいて両院の議員の 中から大統領が任命する。

 99年5月の総選挙でチョードリーが初 のインド系首相に就任した。2000年5 月、フィジー系の権利擁護のためインド系 政権の交替と97年憲法の廃止、マラ大統 領の辞任等を主張する武装勢力が議会を占 拠し、チョードリー首相ら閣僚30名を拘 束する事件が発生した。同月、バイニマラ マ軍司令官が行政権を掌握、戒厳令を発令 し、97年憲法は政令により廃止された。 7月、人質は解放され、GCCはイロイロ大統領、セニロリ副大統領を任命した。同 月、ガラセ首相率いる暫定文民政権が発足 した。11月、ラウトカ高等裁判所が暫定 政権を違法とする判決を下し、2001年3 月には控訴裁判所もこれを支持する判決を 下した。同月、GCCがイロイロ、セニロ リ正副大統領を再度任命し、ガラセ選挙管 理内閣が発足。2001年8月には総選挙 が行われ、ガラセ新政権が誕生した。以来 2000年クーデターの事後処理等をめぐ り、野党労働党との対立が続き、ガラセ首 相とバイニマラマ司令官との確執も先鋭化 していった。2006年3月、ガラセ首相は 議会を解散、総選挙に踏み切り、与党統一 フィジー党が再び過半数の議席を得て首相 に再任され、労働党との連立政権を組織し た。しかし、同年12月、バイニマラマ軍 司令官はガラセ政権の腐敗粛正等を理由に 再度クーデターを決行、現在もバイニマラ マ司令官が首相として暫定政権を率いてい る。このクーデターに対しては国際社会、 特にオーストラリア、ニュージーランド、 EUが批判し、速やかに総選挙を実施して 民主主義体制に復帰するよう強く迫った。 クーデターの影響で、観光客も激減し、経 済も不振となるなど暫定政権は困難な政策 運営に直面していった。この間、暫定政権 は、太平洋諸島フォーラム、EU等との対 話を経て、2009年3月までに総選挙を 実施するとの方針を明らかにした。今後、 暫定政権がいかにオーストラリア、ニュー ジーランド、EU等との関係を改善し、公 約通り総選挙の実施にこぎ着け得るか注目 される。  なお、議会は32議席の上院と71議席 の下院(任期それぞれ5年)で構成されて いる。上院議員はGCC、首相、野党代表、 ロトゥマ評議会の助言により大統領が任命 する。下院は民族別割り当て議席46議席 と民族に関係なく選出されるオープン議席 25議席より成る。

●伝統的社会指導者大会議 (Great Council of Chiefs:GCC)  

フィジーが英国の植民地となった際、初 代ゴードン総督を迎えるため各地の高位の 伝統的指導者が集まった会合が起源となり、現在は少なくとも年1回会合を開くこ とになっている。会議の召集はフィジー系 問題担当大臣が担当している。構成員は大 統領、首相、各州代表など50名程度。現 行憲法(97年憲法)は、GCCの大統領任 命権を認めている。  

なお、現暫定政権は、GCCを抜本的に 見直していく方針であり、その活動を休止 させている。

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