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サモア

概要
正式国名 サモア独立国
人口 190,400人(2013年、世銀)
民族 サモア人(ポリネシア系)
宗教 キリスト教(100%)(組合教会派34.8%、カトリック19.6%、メソディスト15%)
1人当りGNI 3,970米ドル(2013年、世銀)
電話の国番号 685+(相手先番号)(市外局番はない)
面積 2,935平方キロメートル(東京都の役1.3倍)
首都 アピア(Apia)
主要言語 サモア語、英語(共に公用語)
政体 立憲君主制
通貨 サモアン・タラ(Samoan Tala)(サモア・ドルとも言う)
 赤道の南1,200km、南太平洋の中心に位置するサモア諸島は、日付変更線のすぐ近く西経171度線の両側にあり、その西側のサモア独立国(以下サモア)と東側のアメリカ合衆国領サモア(以下=米領サモア)に分かれている。サモアは1962年の独立時には西サモア独立国と呼ばれていたが、1997年に現在の国名に変更された。 サモアは、首都アピア(Apia)のあるウポル島(Upolu)と、その東海上15kmにあるサバイイ島(Savaii)の2つの大きな火山島で構成されている。その100km東にはツツイラ島を主島とする米領サモアがある。 両サモアは、その言語、伝統・習慣は同じであるが、人々の生活態度から受ける印象には大きな違いが感じられる。米領サモアは、公的部門へのドル投入、アメリカ資本による漁業開発の結果、完全に貨幣経済社会へ移行した。また、労働人口の3分の1は米国政府の関連施設で働いている。食生活も輸入された缶詰や冷凍食品が徐々に伝統的な食事のスタイルを変化させてきている。 一方、サモアは、素朴で伝統的なポリネシアの慣習を守って生活している代表的な国である。多くの南太平洋の国が外国からの影響を受けることで独自の伝統を維持することが困難になっているが、サモアは、自給自足経済への依存度が高く、本来の伝統を最も色濃く残している国とされている。

歴史

●先史時代 

サモアの祖先がどこからやってきたかを明確に知ることはできないが、ウポル島には紀元前1000年頃に人々が生活していたとされている。また、サモアに残る伝説には、フィジーあるいはトンガとの深いつながりが感じられるようなものがある。紀元950年にはトンガ人がサバイイ島を支配していたとの言い伝えも残されている。

●西洋との接触 

1722年オランダ人が現在の米領サモアの小島に近づきマヌーア島と命名したことが記録されている。1768年にはフランス人探検家がこの島に上陸し住民と接触した。次いで1787年に同じくフランス人が現在の米領サモアのツツイラ島に上陸した。1800年代前半には多くのヨーロッパ人がサモアに定住していたといわれている。

 1828年にメソジスト派の宣教師が初めてサモアに上陸したが、その時点では既にキリスト教を受け入れる素地ができていた。その後はイギリスやイタリアのローマ、そしてアメリカから宣教師や伝道師がサモアの島々を訪れ布教を開始した。 また、1850年以降になると貿易を目的としたヨーロッパからの移住者も増加し、特にドイツは土地の購入や入植者の送り込みにも積極的であった。

●3国統治の時代 

19世紀後半には、サモアの伝統的な地位を有する2家系が東西に別れ、住民を巻き込んだ権力闘争を繰り返していた。この闘争にドイツと米・英両国の主導権争いが絡んで混乱が絶えなかった。さらにサモアは、米国に申し出ていた海軍基地の提供を英国とドイツにも提供することにしたため、混乱の収拾の目処が全く立たない状況となった。そして1889年、ベルリンにおいてドイツ・米国・英国の3国は、3国が派遣する領事が、任命されたサモア人国王を補佐して統治を行うというベルリン条約を締結した。 しかしこの条約はまったく効果なく、東西に別れての権力闘争が続いたことから、1899年12月に再び3国間条約が締結された。すなわち、サモア諸島の東部を米国、西部をドイツが統治し、これまでドイツが権利を出張していたニウエ、トンガ、ソロモン諸島からドイツが撤退することを条件に、英国はサモアの権利を放棄した。これ以降、サモア諸島は東西に分裂した歴史を歩むことになった。

●西サモアとドイツの時代

1900年2月、ドイツは、西サモアを統治するためにドイツ人知事を任命した。当初の数年間は比較的平穏が続いたが、植民地としての支配が強くなるに従ってサモア人の不満がつのり、また伝統を無視したドイツ人知事への反発もあって、これがレジスタンス運動へと発展していった。 1905年にサバイイ島の火山噴火があり、西サモアの状況は一変することになった。噴火は1910年まで続き、その間レジスタンスによる反政府運動もあり、ドイツはサバイイ島から退去することになった。

●独立への道のり 

1914年、第1次世界大戦が勃発し、ドイツ敗戦により、ニュージーランドが西サモアに進駐した。 第2次世界大戦の勃発によって一時的に米軍が西サモアに進駐したが、1945年にはニュージーランドの施政下で国際連合信託統治地域となった。 1947年には、西サモアの地方自治体が集まり、ニュージーランドの支援を受ける形で議会を設置し、1954年に憲法制定のための初議会が開かれた。 1961年1月、独立に向けての要請を国連に行い、住民投票を経て、1962年1月「西サモア独立国」の名称の下に独立。1997年、国名を「サモア独立国」に変更した。

地理

 サモアは、ニュージーランドの北2,300km、ハワイの南3,700kmの南太平洋上に位置する広さ2,935k㎡(鳥取県より少し小さい)の島国である。東には米領サモアを挟んでクック諸島、南にトンガ王国、そして北にはニュージーランド領のトケラウ諸島が連なる。サモアは、主にサバイイ島(面積1,700k㎡)とウポル島(1,115k㎡)の2つの大きな島などで構成されている。大きな2島は18kmの海峡を挟んでいるが、その間には2つの小島、マノノ島(人口600人)とアポリマ島(人口150人)がある。サバイイ島とウポル島はともに火山島であり、サバイイ島にあるサモアの最高峰シリシリ山(Mt.Silisili)は標高が1,858mある。

政治

 サモアは立憲君主国家であり、国家元首は事実上代表的な4部族の長の中から選ばれる。現在の国家元首はトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ。国家元首に実質的な権力はなく、国事行為はすべて議会の承認によって行う。政府は、首相と12人の閣僚によって構成されている。議会は1院制で49議席からなる。1990年の国民投票によって、21歳以上のすべての国民に選挙権が与えられたが、被選挙権は「マタイ」の称号を持つ者にしか認められていない。 サモア独立国の政治の特徴は地方自治の形態にあり、とくに村の単位では、現在でも一族の長を中心とした伝統的な運営がなされている。
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