サモア
正式国名 | サモア独立国 |
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人口 | 222,382人(2022年、世界銀行) |
民族 | サモア人(ポリネシア系)92.6%,欧州・ポリネシア系7% |
宗教 | キリスト教(100%)(組合教会派34.8%、カトリック19.6%、 メソディスト15%) |
1人当りGNI | 3,810米ドル(2021年、世界銀行) |
電話の国番号 | (685)+(相手先番号)(市外局番はない) |
面積 | 2,935㎢(東京都の約1.3倍) |
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首都 | アピア(Apia) |
主要言語 | サモア語、英語(共に公用語) |
政体 | 立憲君主制 |
通貨 | サモアン・タラ(Samoan Tala)(サモア・ドルとも言う) |
赤道の南 1,200km、南太平洋の中心に位置するサモア諸島は、日付変更線のすぐ近く西経 171 度線の両側にあり、その西側のサモア独立国(以下サモア)と東側のアメリカ合衆国領サモア(以下=米領サモア)に分かれている。サモアは 1962 年の独立時には西サモア独立国と呼ばれていたが、1997 年に現在の国名に変更された。
サモアは、首都アピア(Apia)のあるウポル島(Upolu)と、その東海上 15km にあるサバイイ島(Savaii)の 2 つの大きな火山島で構成されている。その 100km 東にはツツイラ島を主島とする米領サモアがある。
両サモアは、その言語、伝統・習慣は同じであるが、人々の生活態度から受ける印象には大きな違いが感じられる。米領サモアは、公的部門へのドル投入、アメリカ資本による漁業開発の結果、完全に貨幣経済社会へ移行した。また、労働人口の 3 分の 1 は米国政府の関連施設で働いている。食生活も輸入された缶詰や冷凍食品が徐々に伝統的な食事のスタイルを変化させてきている。
一方、サモアは、素朴で伝統的なポリネシアの慣習を守って生活している代表的な国である。多くの南太平洋の国が外国からの影響を受けることで独自の伝統を維持することが困難になっているが、サモアは、自給自足経済への依存度が高く、本来の伝統を最も色濃く残している国とされている。
●歴史(第二次世界大戦後)
1914 年、第 1次世界大戦が勃発し、ドイツ敗戦により、ニュージーランドが西サモアに進駐した。第 2 次世界大戦の勃発によって一時的に米軍が西サモアに進駐したが、1945 年にはニュージーランドの施政下で国際連合信託統治地域となった。1947 年には、西サモアの地方自治体が集まり、ニュージーランドの支援を受ける形で議会を設置し、1954 年に憲法制定のための初議会が開かれた。1961 年 1 月、独立に向けての要請を国連に行い、住民投票を経て、1962 年1 月「西サモア独立国」の名称の下に独立。1997 年、国名を「サモア独立国」に変更した。
●政治
サモアは立憲君主国家であり、国家元首は事実上代表的な4部族の長の中から選ばれる。現在の国家元首はトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ。国家元首に実質的な権力はなく、国事行為はすべて議会の承認によって行う。政府は、首相と12人の閣僚によって構成されている。議会は1院制で49議席からなる。1990年の国民投票によって、21歳以上のすべての国民に選挙権が与えられたが、被選挙権は「マタイ」の称号を持つ者にしか認められていない。 サモア独立国の政治の特徴は地方自治の形態にあり、とくに村の単位では、現在でも一族の長を中心とした伝統的な運営がなされている。
●経済
ウポル島とサバイイ島、その周辺の小さな島々からなるサモアの経済活動は小規模で、ココナツやタロイモなどの伝統的農業に依存しており、90 年代半ばからの経済成長も漁業、農業、観光が大きく貢献した。現在、労働人口の 60% が従事している農業の GDP(国内総生産)に占める割合が徐々に減少しつつあり、2004 年には、ニュージーランド、豪州、米国に住むサモア人からの仕送りが GDP の 19.3%を占め、重要な国家収入になっている。民間企業としては最大企業であるヤザキ・サモアが最盛期には 2,000 人以上の現地人を雇用し、自動車用ワイヤー・ハーネスを生産しており、サモアの豪州への輸出の殆どを占めている。
その他サモアについての詳細は、当センターガイドブックをご覧ください。
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