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ニウエ

概要
正式国名 ニウエ(Niue)
人口 1,500人(2013年SPC)
民族 ニウエ人(ポリネシア系民族)90%
宗教 キリスト教75%、モルモン教10%、他
1人当りGDP 12,158NZドル(2003年政府統計)
電話の国番号 (683)+(相手先の番号)
面積 259平方キロメートル(徳之島とほぼ同じ)
首都 アロフィ
主要言語 ニウエ語、英語
政体 立憲君主制(元首は英国のエリザベス2世女王)
通貨 ニュージーランド・ドル(NZ$)

ニウエはニュージーランドとの自由連合国で人口約1,500人、南緯19度に位置して、東にクック諸島、西をトンガ王国、そして北を米領サモアに挟まれている。一番近い隣国トンガの首都ヌクアロファまで約600km、クック諸島の首都ラロトンガまでは約900km、ニュージーランドまでは約2,200km離れている。熱帯の海では珍しく、裾礁がほとんど無い孤島が南太平洋にポツンと浮かんでいることから「ポリネシアの岩」と呼ばれる。 ニウエ島は、面積259k㎡で一周67kmの道路に囲まれており、サンゴ礁が隆起してでできた海岸線は複雑に入り組んでいる。砂浜は少ないがダイビング・スポットは多く、ニュージーランド政府の支援を受けて観光産業の育成に力を入れている。

歴史

ニウエに人が住み出したのがいつであるか正確には分からない。紀元後400年頃と信じられている。最初の遠征隊は、フォアとフアナキに率いられて島の北端ウルラウタないしモツに700年頃に上陸・定住した。その後、1250年頃までは新たな定住者についての記録は残っていない。1525年にトンガによる侵攻があり、アナトガで先住民と戦っている。その生き残りが島の南、タフィチ、ムイフォヌアないしヒクラウタに住みついた。さらにクック諸島からの移住者も混じって、今日のニウエ文化が形成されていった。 ニウエがヨーロッパに知られるようになったのは1774年のキャプテン・クック(CaptainJamesCook)の来航による。しかし、クック一行は、ニウエ人の激しい攻撃を受けて上陸を断念しており、同島の呼称を当初考えていた「プリンス・フレデリック島」から「野蛮人の島」に変更したという。その後1830年に宣教師ジョン・ウイリアムズ(JohnWilliams)も上陸を試みたが、ニウエ人の抵抗に遭い目的を果たせなかった。 ニウエにキリスト教がもたらされたのは1846年になってからである。それもサモアでキリスト教に改宗していたニウエ人ペニアミナ(Peniamina)が、ロンドン宣教師協会と協力して布教を開始してからである。1849年、サモア人宣教師パウロ(Paulo)によって布教活動は引き継がれ本格化していった。1900年、ニウエはイギリスの植民地となったが、このころにはキリスト教の宣教師達は完全にニウエをキリスト教化した。1901年ニウエ人には一切の相談が無いまま、ニウエはニュージーランドへ移譲された。 ニュージーランドはニウエをクック諸島に併合しようとしたが、ニウエ人の激しい抵抗にあい、これを断念している。 1974年10月、長年の交渉を経て自治権を獲得し、ニュージーランドとの自由連合関係に移行した。

政治

ニウエでは3年毎に総選挙が行われ、20人の議員が選出される。議員がその中から首相を選出し、首相は19人の議員の中から閣僚3人を選ぶ。議員は議員以外から議長を選出する。議員の14人は地区単位の選出で、6名は島全体から選ばれる。投票権は18歳以上の住民に与えられる。 外交と軍事は、憲法上、ニュージーランドの元首たる英国のエリザベス女王が司り、ニュージーランドがニウエの経済・財政上の支援に責任を持つ。
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