PIC 25th Anniversary Commemoration Book
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太平洋諸島は日本の若者にとって最後のフロンティア 約20年前、マーシャル諸島に初めて降り立った日のことを今でも鮮明に覚えている。南国特有の妖艶さを醸し出す香水の匂いと肌を覆ってくる湿った空気。五感に訴えかけてくるこうした刺激は、日本とは異なるまさに異郷のイメージをかき立てるものであった。しかし、いつからであろうか、同じ土地を訪れ、同じ刺激に触れながらも、次第に全く違う感覚を抱くようになってくる。それは、慌ただしい日常から離れることができた喜びと同時に、親しい仲間が待っている懐かしい故郷に戻る気持ちである。太平洋諸島を訪れる日本からのリピーターの多くがこの感覚の変化を経験しており、この「故郷のような心地よさ」こそが島国のもつ最大の魅力なのである。 日本に戻り、様々な課題に直面するたびに、自分の価値観を図る重要な物差しとしてきたのは、日本と太平洋の島国との関係である。世界有数の経済大国である日本と、国際市場の周縁に位置付けられてきた太平洋諸島では、様々な違いがあるのは当然である。日本のビジネスの価値観を絶対視し、島の人々の暮らしや習慣を全く無視していたと反省することもあった。一方、島国の感覚や価値観を当然視するあまり、日本を含めた先進国のマーケットのシビアな基準などを島国の人々に理解させることができず、日本との感覚の違いばかりを憂いていたこともあった。ただし、島の仲間たちと長年付き合う中で、互いが信頼し合いながら接していけば、その違いを乗り越えていくことができるということを教えてもらった。もちろん、日本の市場における品質管理の厳しさを伝えることで、諦めてしまうビジネスマンも少なくない。一方で、難しい市場だからこそチャレンジすると自らを奮い立たせ、創意工夫をし、市場の開拓に成功したチャレンジャーたちも確かにいた。このチャレンジャーたちを実直なまでに支えてきたのが25周年を迎えた太平洋諸島センター(PIC)である。 両地域の関係強化を推し進めてこれたのは、PICの努力によるものだけではない。戦後、日本は島国から来た若きチャレンジャーたちを官民協力して積極的に支援してきた。戦前から続く歴史的なつながりもあり、日本の政財官のリーダーたちは、建国間もない島国のリーダーたちの訪日を歓迎し、ODAなどを通じて国づくりへの協力を約束した。また、多くの島国の若者を留学生や研修員として受け入れ、各分野の専門知識を伝えた。こうした若者たちが、その後各国のリーダーへと成長し、現在日本と母国の懸け橋として活躍している。 そして21世紀。グローバリゼーションが進む国際社会の中、日本と太平洋諸島は、違いを強調するのではなく、同じ課題を共有し、協力しながら未来へと歩んでいくイコール=パートナーを目指す時代となった。気候変動問題はもちろん、マイクロプラスチックに代表される海洋汚染問題や大規模化する自然災害など、地域を超えて取り組むべき問題は増加の一途である。日本と太平洋諸島との連携は不可欠のものと言えるだろう。 もっとも、人口などの数量データを重視し、既存の価値観に囚われる人々にとっては、ビジネスにおける可能性が見いだせないとし、この地域の魅力を十分に理解することはできないようだ。一方心強いのは、現在両地域を結んで活躍する日本人の多くが、40代以下の若い世代であるということだ。ある経営者は、島国の産品を現地企業と協力して開発し、オーガニック商品を好む人々が集うマーケットへとつなげていった。ある若手リーダーは、政府観光局と協力し、SNSを巧みに利用して島国の知名度を上げ、多くのマスメディアで各国の魅力を伝えることに成功させている。これらの事例からもわかるように、太平洋諸島は若者がもつ新たなアイデアやチャレンジ精神を発揮できる最後のフロンティアなのだ。 マーシャル諸島に到着した日、20代の若者であった自分は、PICが編纂したガイドブックを片手に現地社会との交流をスタートさせた。大学の教員となった今、PICと協力しながら、太平洋諸島の魅力を伝えるべくビジネスセミナーやシンポジウムを開催し、統計ハンドブックやビジネス関係の書籍を出版、そして両地域の次世代を担う若きリーダーたちの育成に努めている。長きにわたりPICを身近に見てきた者として言えるのは、PICが歩んできた25年間は、日本国内における太平洋諸島の重要性が認知されてきた四半世紀、そしてPICがビジネス交流の拠点として着実に成長してきた四半世紀であったということだ。両地域にとってかけがえのないこの機関が、今後も両地域の交流を促進していく上での中心的なプラットフォームとして発展し続けていくことを心から願っている。

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