設立当時の意義や活動内容は、時代と共に変化します。その中で今後のPICはどの様に活動を発展させるべきでしょうか。 PICを如何に改革・発展させるか? これは、歴代所長やPICスタッフに課せられた問題というより、政府やそれを担当する外務省が外交の中でPICをどのように位置付けていくかによって、決まってくる事柄なのでしょう。 私は、日本と島嶼諸国との外交的絆をさらに発展させていく中で、PICが条約に基づく本格的な国際機関に格上げするとか、あるいは日本の島嶼国外交の専門窓口的機関として組織強化していくといった政策方針が出てくると良いな、と思っています。 とはいえ、現状の組織体制での活動内容に限定すれば、大きな目的の一つである貿易推進事業の拡大は重要です。現実には、島の製品・商品は品質面で、日本市場での普及には難しい部分がある。ですが、日本からの投資環境、あるいは輸出の際の諸制度等々、島側にある解決すべき法的問題が少なくありません。今まであまり触れなかったこうした法律分野でのコミュニケーションや連携の強化といった面に活動を広げることは重要でしょう。また、人材交流についても積極的に関わるような仕事が、PICには期待されているのではないでしょうか。Q日本と太平洋の次なる25年に向けて、何が重要になるとお考えですか。 1980年代の冷戦時代は、ソ連の太平洋進出に脅威を感じました。80年代後半から90年代にかけて日本は、PIC設立や島サミットの開催で島嶼国との関係を深めてきました。2000年代に入ると中国の太平洋進出が活発になり、今では中国に負けないためにも、日本は島嶼地域との絆を強めるべきだ、といった議論がしばしば目につきます。 しかし、日本は中国の太平洋進出に対抗するために、島嶼諸国外交を展開してきたのではありません。第三国・地域の進出活動とは無関係に、日本は太平洋を共有する海の隣人として、島嶼諸国と共に歩むことが重要だと思います。日本と島嶼諸国における持続可能な関係を発展させていくという原点を見失わずに、当面の諸課題に真摯に取り組むことで、自ずと次なる25年が開けてくるのではないでしょうか。Q太平洋協会は、2024年で50周年。協会とPICの関係は、如何だったのでしょう。 この協会は、1974年に信託統治領ミクロネシアを事業対象とする組織として発足しましたが、信託統治の終了に伴い外務省の地域管轄部門が北米第一課から欧亜局大洋州課に変更になり、それに伴い組織活動もポリネシア、メラネシアへと広がった。そこで組織名も発足時の「日本ミクロネシア協会」から「太平洋諸島研究所」、さらに「太平洋協会」へと改称し、今に至ります。 それゆえ外務省認可の唯一の地域団体として、新たに設立させるPICとの協力・交流関係が、必然的に始まりました。PIC発足時は、外務省から出向の所長、ジェトロOBの次長、そして太平洋協会からの移籍者、ジェトロからの出向者の4人体制でのスタートでした。現在のように、所長を民間からの公募制に変更したのは、2009年です。 その頃からPICが蓄積した経験や事務局スタッフの知識が花開き始め、その活動が徐々に活発化してきます。PICが民間所長体制になって、太平洋協会との相互連携も一層深まりました。設立目的が多くの部分で重複する二つの組織ですから、協力、交流することで相互に大きな相乗効果が生まれます。これはとても良いことです。Q
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