PIC 25th Anniversary Commemoration Book
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PIC設立(1996年)の経緯と時代背景について教えてください。36一般社団法人 太平洋協会 理事長小林泉Izumi KobayashiPresident, Japan Pacific Islands Association PIC設立の経緯は、日本外交と島嶼国の関わりを時系列的に見ていくと、理解されやすいでしょう。日本が対島嶼国外交を本格化させたのは、1985年の中曽根総理によるオセアニア訪問です。中曽根氏は、対島嶼国外交を具体的にイメージして事に当たった最初の総理だと私は考えています。1979年、大平総理が環太平洋構想を掲げ、「太平洋との絆を深める」との方針を打ち出しました。 大平総理急逝で登場した鈴木総理は、米国訪問の帰りに立ち寄ったハワイ東西センターでの講演で、太平洋地域に向けての外交5原則を述べた。これを私らは、「鈴木ドクトリン」と呼びました。それ以前に、日本が太平洋地域へ向けて発信した明確な外交方針はなかったからです。しかし、そこには島嶼国を政治アクターとイメージさせる内容がなく、具体性にも欠けていたため、島嶼地域では注目されませんでした。 その後に登場した中曽根総理は、フィジーとPNGを訪問。その翌年の1986年に倉成外相がフィジーで、島嶼諸国に向けた日本外交の5原則を公表したのです。島嶼国を具体的に視野に入れたこの演説は、大変な評判を呼び、これが後に「倉成ドクトリン」として、今に続く日本の太平洋外交の礎となりました。 ところが中曽根総理以後は、とりわけ積極的に太平洋外交を進める首脳は現れず、あくまで途上国へODA拠出を淡々と実行するだけの外交が続きました。太平洋には、取り立てて注視する懸案事項はない、という認識からでしょう。そうした中、ここには島嶼独立国が次々と出現し、日本からの経済協力等への期待も高まっていきました。 1988年、笹川平和財団が太平洋島嶼10ヶ国の首脳を日本に招いて、島嶼諸国会議を開催、議長は倉成前外相が務めました。いわば、「民間版島サミット」です。また、1990年には、米国ブッシュ大統領がハワイに島嶼首脳を集めました。豪州やNZは、南太平洋フォーラムの年次会合で恒常的に首脳会議をしている。英、仏も南太平洋委員会での首脳交流がある。この地域に関わる先進国で首脳交流がないのは、日本だけでした。それでも、島嶼諸国が日本に寄せる期待は高まる一方で、「貿易、投資、観光」を発展させるための支援組織を日本側に設置して欲しいといった具体的な要望も出てきました。そんな折、南太平洋フォーラムの年次総会で、日本の国連安保理事会入りを支持する決議文が採択されたのです。当時、大洋州課長だった兒玉和夫氏は、「彼らの日本への熱い思いをひしひしと感じ、何とかその期待に応えたいと思った」と、後に回想しておられます。これが、1996年の「PIC設立」や1997年の「太平洋・島サミット開催」に繫がったのです。Q中曽根総理とソマレ首相ポートモレスビーにて(1985年)Prime Minister Nakasone and Prime Minister SomareIn Port moresby (1985)

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