4 今から約100年ほど前、1900年の初期にバヌアツに日本人が住んでいたらしい。エピ島本島から目視できるほどの位置にあるラメン島という小島に、なんと日本人「伊東政吉」さんのお墓がある。ラメン島にたどり着いた経緯や理由などは謎だが、五島列島出身、ウミガメ獲りの名人だったという。伊東さんから教えられた日本の歌を現在でも歌える島民もいる。 また、1870年代になるとフランスの進出が目立つようになり、農園経営に関して英国との関係が緊張、1886年にはフランス軍がエファテ島の北西ハバナ港に上陸した。英仏の利権争いはますます激しさを増し、1906年の最終協議によって英仏2国によるニュー・ヘブリデス諸島の共同統治が開始された。法律の異なる2国統治は当然のように混乱を招いた。2つの法律、2つの警察、2つの刑務所、2つの通貨、2つの教育システム、2つの医療システムを持つ奇妙な社会は、1980年の独立まで続いた。●終戦から独立へ 旧日本軍が隣国のガタルカナル島まで南下したことから、アメリカ軍はエファテ島とサント島に前線基地を置いた。主力基地となった人口1万人ほどのサント島には10万人の兵員が送り込まれたという。 1945年の終戦によってアメリカ軍は引き上げたが、1942年5月にアメリカ軍が基地を置いてから約3年間、現地の人々❖必見コラム ~日本人の存在「亀獲り名人 伊東政吉」~サント島での軍事演習は白人も黒人も差別無く兵役に就いていたのを見てきた。これは英国とフランスの支配に慣れていた人々に独立への希望を植え付けることにもなったが、二国による支配は住民間に複雑な感情を植え付けていた。イギリスが独立を支援する動きを見せると、フランスが性急な動きを牽制、一部の住民はバヌアツ人よりフランス人でいることを欲した。第二次大戦の終結後に多くの国が早い時期に独立を達成する中で、バヌアツが二国による特殊な支配から独立したのは1980年になってからであった。
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