3バヌアツの歴史 4万年ほど前、西太平洋の人々の祖先であるオーストラロイドが東南アジアからインドネシアやニューギニアを経由してオーストラリアやソロモン諸島に移動してきた。その後、東南アジアからの新しい移動の波がソロモン諸島を越えてバヌアツに辿り着いたのは紀元前3000年頃で、この人々がバヌアツのメラネシア人の祖先となり、さらにニュー・カレドニアやフィジーに向かって進んでいった。現在のところバヌアツで発見された最古の定住跡は紀元前1400年頃のものである。人々はラピタ文化に属しており、パプアニューギニアからサモアまでの広い範囲で特有の陶器類が発掘されている。 11世紀から15世紀にかけては東からのポリネシア人の大移動があり、異なった生活習慣や技術がもたらされた。従来から居住していた人々は森の中に集落を作り、新しく移住してきた人々は浜辺近くに集落を作った。部族間の土地や農作物に関しての争いが頻繁に起こり、首狩りの習慣もラピタ土器20世紀まで残っていたと言う。●ヨーロッパとの接触 1606年5月、ポルトガル人航海家ペドロ・フェルディナンド・キロスが率いる一隊がスペインの命を受けサント島に上陸して領有を宣言したが、乗組員の反乱もあり、約50日後にこの地を去った。その162年後の1768年、フランスの貴族ルイス・ブーガンビルがマエウォ島とペンテコステ島を発見している。次いで1774年7月には当時はまだ中佐であったキャプテン・クックが、タンナ島をはじめ全ての大きな島々を発見した。1789年にはバウンティ号の反乱で知られるキャプテン・ブライがバンクス諸島を発見したことが記録されている。●貿易商と宣教師 1825年にアイルランドの探検家ピーター・ディロンがエロマンゴ島で多量の白檀の木を発見したことがきっかけとなって、中国への輸出を狙ってヨーロッパ人貿易商の入植者が増加。並行してキリスト教の布教活動が活発化した。白檀の中国への輸出は1860年代後半まで続いた。●疫病と2国統治の時代 1800年代に入ってからのヨーロッパ人との接触によって、ハシカやインフルエンザ、肺炎、猩紅熱、おたふくかぜ、水疱瘡、百日咳、そして赤痢などがこの島々の人々を襲い、人口が急激に減少、20世紀始めまでには10万人までになったと伝えられている。
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