産 業92旧ラバウル空港かつての日本軍東飛行場わきに残る日本軍機の残骸コポ近くのビタパカ村にあったドイツ軍の無線基地局をターゲットとして上陸攻撃をし、これを奪取した(「ビタパカの戦い」)。現在ビタパカには英連邦の「ラバウル戦争墓地」があり、その一角にビタパカの戦いの記念碑も建てられている。 太平洋戦争では1942年1月に日本軍がラバウルを占領し、太平洋方面の拠点「南方方面司令部」としてガゼル半島一帯に大軍事基地を展開し、最大時で陸海軍を合わせ10万人近い将兵が駐屯していた。ゼロ戦など戦闘機用の「東飛行場」(ラクナイ)、一式陸攻など大型機用の「西飛行場」(ブナカナウ)の他、「南飛行場」(ココポ)、「北飛行場」(ケラバット)4つの空港を整備した。因みに東飛行場は戦後ラバウル空港として整備され1994年の火山噴火まで使用されていた。この大航空兵力が「ラバウル航空隊」でガダルカナルやポートモレスビー方面に頻繁に出撃していた。激励のために訪れた連合艦隊、山本五十六司令長官はこの基地を飛び立った後、ブーゲンビル島上空で連合軍に撃墜され戦死された。その後の戦況悪化に伴い補給線を絶たれたラバウル基地の戦力は衰え、度重なる爆撃から生き延びるためトンネル基地を掘り続け、農地を開墾し、多くの将兵が終戦まで自給自足して生き延びた。そのトンネルの総延長は580Kmにも及ぶと言われている。 1950年代、オーストラリア政府の役人によって「トーライ・カカオ・プロジェクト」が開始されココアの栽培が導入、奨励された。これがきっかけとなり、現在までカカオはコプラと共に東ニューブリテン州の経済を支える商品作物である。 カカオでは国内最大の生産者であり輸出企業であるココポに本社を置くアグマーク社(NGIP-Agmark)がある。 また木材の輸出も多く、州西部のオープンベイでは日系企業であるオープンベイ・ティンバー社が1971年から事業を行い、現在では3万ヘクタールもの大規模な植林事業を行って、持続的な林業ビジネスを営ココポ~ラバウルにかけて随所にあるトンネル群、これは第13兵站病院と思われる
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