パプアニューギニアガイドブック
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産 業教育研究施設85の悲劇」と呼ばれるビスマルク海海戦で、1943年3月、ラバウルから出港したレイに向かう日本軍の輸送船団がダンピール海峡付近で連合軍の攻撃によって壊滅させられ3000名以上の日本軍兵士が戦死した。 1960年代になり、政府によってオイルパームのプランテーションがホスキンスとビアラで開始された。これが西ニューブリテンのパームオイル産業の先駆けとなった。1966年にはニューブリテンが東西の州に分割され、初めて西ニューブリテンが独自の行政区分となった。 前述の通りパーム油の生産が西ニューブリテン州最大の産業で、国内で圧倒的な不時着した日本軍偵察機の残骸パーム椰子の実の収穫作業シェアを誇る。またオイルパームのプランテーションで飼育される肉牛は「キンベ牛」と呼ばれ、長年市場を占めて来た豪州産肉に対抗する国内牛として期待されている。 また林業による木材輸出はパプアニューギニアの中で3番目に多く、その他コプラ椰子、カカオなどの輸出も盛んである。 ワリンディリゾートに併設するマホーニア・ナ・ダリ(Mahonia Na Dari)は海洋保護研究施設として国内外の海洋科学者、環境保護研究者のパプアニューギニアでの拠点のひとつとなっている。マホーニア・ナ・ダリはタラセア地方の言語で「海の守り神」の意味。 またニューブリテン・パームオイル社の研究部門としてスタートしたダミ研究所(Dami Research Station)ではオイルパームに関する生物工学、食物栽培学、環境科学などの研究を行い、プランテーションの指導などを行っている。マホーニア・ナ・ダリでの地元民対象の勉強会

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