歴 史84 パプアニューギニアの中でニューギニア島に次いで面積の大きなニューブリテン島の西半分を占める西ニューブリテン州は、火山とパーム椰子の州と言える。 西ニューブリテン州には20を超える火山があるが、現在でもそのうち少なくとも4つが活火山である。 2002年のパゴ山噴火では州都キンベの空の玄関ホスキンス空港が一時閉鎖され、使っていなかったタラセア空港を急遽改修して代用として使用した。また最近では2019年6月にウラウン山が噴火し巨大な噴煙を吹き上げた。しかしこの火山灰によってもたらされる肥沃な土地と豊富な雨量はパーム椰子の栽培や森林の生育に最適な環境となっており、オイルパーム(パーム油をとる油椰子)のプランテーションが広がっている。そのためパームオイルのプランテーションや林業などに職を求めて他州からやってくる人々が多く、州の人口の約1/3が他州の出身者となっており、その割合は国内で最も高い。ニューブリテン島の中央部には褶曲山脈のホワイトマン山脈が走り、中央部から南西部は主に林業のプランテーションが散在するが、他は自給自足に近い生活をする村が点在する過疎地となっている。 タラセアで産出される火山性の黒曜石は、石器時代にナイフや鏃、槍の穂先として重宝された。黒曜石は、長い年月を経てオセアニアの海を渡り、遠くはサモアやハワイまで伝わった文化の担い手であるラピタ人の交易品としても使われていたが、その多くがタラセア産であった事が判明している。またタラセアはシェルマネーの生産地としても知られ、国内ではカヌーを使い、ビティアス海峡を挟んでニューギニア島北岸のモロベやマダンとの間でシェルマネーや土器を交易品とするビティアス交易と呼ばれる交易が数千年前から行われていた。 19世紀末、ニューブリテン島はドイツ領ニューギニアとなったが、支配はラバウルが中心で、西ニューブリテンでは殆ど発展は無かった。 太平洋戦争時には日本軍が一時占領したが1943年から1944年にかけて連合軍による反攻でツルブ(グロスター岬)の戦い、タラセアの戦いなど激戦が繰り広げられた。特筆すべきは「ダンピール海峡パーム椰子プランテーション島しょ地域(Islands Region)西ニューブリテン州(West New Britain Province)
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