パプアニューギニアガイドブック
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歴 史産 業74していると信じられているが、州旗の中心に描かれたり、ノーコンディ杯といったスポーツ競技のタイトル名に使われたりと、今でも州のシンボル的な存在となっている。 オカパ郡の南フォレ地区ではかつてクールー病と名付けられた謎の病気が広がっていた。1976年ノーベル生理学・医学賞をとった事で知られるアメリカ人の学者カールトン・ガジュセックが研究したところ、この土地の人肉食習慣が原因で広がった病気であることを発見した。この地区の人々は、亡くなった親族の肉を食べる葬儀習慣があったが、人の脳みそ内のプリオンという異常タンパク質がクールー病の原因だと判明した。なお、今では食人習慣もなくなり、病気も根絶されている。 アサロ渓谷の南に位置するルーファー郡のカフィアヴァナKafiavanaの岩の洞窟に先史時代の壁画が残っており、少なくとも約1万1千年前には、人がこの地域で狩猟生活をしていたであろうことが判明している。1929年にはルター派教会の宣教師が、西洋人として初めてこの地に足を踏み入れた。その後1932年に植民地統治官のジム・テイラーによって、カイナンツに初めて滑走路が作られ、オーストラリア政府の出先機関が設置された。 太平洋戦争では連合軍の補給基地となり、1942年には連合軍の滑走路があったベナベナは日本軍による爆撃を受けた。1946年にゴロカは沿岸部のマダンに最も近い事から、ハイランド地方の行政の中心となった。 1950年代にゴロカとレイを結ぶハイウェイが開通し、産業道路としてのハイランド・ハイウェイの利用が始まると共に、商品作物の栽培が始まった。それまでモロベ州のワウなどで栽培されていたコーヒーの苗木が持ち込まれ、カイナンツやゴロカ周辺でも栽培を始めたのが、現在のコーヒー産業の始まりである。 主要な産業はコーヒーだが、大規模プランテーションではなく、村人が自分の土地にコーヒーを栽培し、業者が買い取る形が主体である点で、プランテーション栽培が盛んな西ハイランド州とは対照的である。なおコーヒー豆の生産では東ハイランド州と西ハイランド州が双璧となってこの国のコーヒー豆生産の40%近くを占める。 その他には、養鶏、養豚などの家畜の飼ハイランド・ハイウェイ

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