産 業教育・研究機関主な都市や街61の名前の由来は地元言語の一つで「偉大な川」と言う説が有力である。 1913年にはセピック川下流のアンゴラムにドイツ領ニューギニアの街が建てられたが、これはセピック川流域では最も古く、大きな街であった。同じ頃、アンゴラム近くのマリエンベルグにはカトリック教会が建てられた。マリエンベルグには製材所も建設され、木材を川岸から製材所まで運ぶための鉄道も敷かれたという。 太平洋戦争では1942年3月に日本軍がこの地を占領し、1945年9月にウオム岬で日本軍が降伏するまで激しい闘いが繰り広げられた。特に「アイタペの戦い」で敗れた日本軍第18軍はウェワクへ後退し、残存部隊はセピック川に分散して散発的な戦闘を繰り返しながら部隊を維持したが、飢餓とマラリアで多くの将兵が亡くなった。 2000年、破壊的なサイクロンがバニラの世界的産地であるマダガスカルを襲った事から、バニラの世界相場がそれまでのキロ当たり約20ドルから約500ドルまで高騰した。これに乗じてマプリック地区を中心にバニラ栽培が始まり、現在では国内最大のバニラ生産地となっている。 またセピック州では、カカオやロブスタ種のコーヒーなどの商品作物の栽培も盛んである。ロブスタ種のコーヒーは病害虫に強く、熱帯低地での栽培に適しており、高地で栽培される高級なアラビカ種とは別にインスタントコーヒーなどに使われる安価な商品として需要がある。 台湾、オランダとパプアニューギニアの合弁企業であるサウスシー・ツナ・コーポレーション(South Seas Tuna Corporation Limited)はウェワク港脇に本拠地を構え、水揚げしたマグロを加工する工場を有し多くの現地人スタッフを雇用している。 鉱業では上流のフリダ川(Frieda River)で金鉱が発見されており、商業ベースの採鉱が計画されているが、環境面を懸念する声が多く、2020年6月時点で操業の許可は出ていない。 ウェワクにあるセント・ベネディクト教員養成学校は2003年からマダンに本校があるディバイン・ワード大学のウェワク校舎となり、教育学部が置かれる。ウェワク(Wewak) ビスマルク海に面する東セピック州都で人口5万人。 ドイツ統治時代の1911年に現在のウェワクのウィルイ地区にカトリック教会が建てられ、翌年にはボラム岬、ウモエム岬、ブランディなどにココナッツのプランテーションが開かれた。これが現在のウェワクの街の始まりである。この時代に
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