歴 史60素焼き土器に平たく伸ばして焼きパンケーキの様にして食べたり、ボール状に丸め魚と一緒に煮てスープにして食する「ナングー」が一般的である。 この地域ではキリスト教が普及した今でも伝統的な土着の精霊に対する信仰が強く、精霊の家「ハウス・タンバラン(Haus Tambaran)」がコミュニティの中心となっている村が多く見られる。ハウス・タンバランは精霊を祭る家であり、木彫りの仮面や木をくり抜いたガラムートと呼ぶ太鼓などが飾られ、村の重要課題を決定するための会議が開かれたり、数年に一度、成人の儀式も行われる。ハウス・タンバランの形状や大きさは地域によって大きく異なり、セピック川中流域ではパリンベに代表されるような2階建ての大型なもので、一方マプリック地方で建てられる三角屋根のハウス・タンバランは国会議事堂の正面玄関のデザインにも使われている。 セピック地方は「原始美術の聖地」とも呼ばれ、この地域で継承される木彫りの民芸品はプリミティブ・アートの傑作として世界の収集家、芸術家の注目の的となっている。 貝などの化石や言語の共通性から、セピック川流域はかつて内陸部に食い込んだ大きな湾で、アフリカから移住してきた人類がビスマルク海からこの湾を通ってハイランド地方へ移住したという説が有力である。補修中のハウスタンバラン ドイツ統治時代にこの地域を探検した探検家オットー・フィンシュは1885年セピック川を発見し、時のドイツ皇后アウグスタの名から「カイゼリン・アウグスタ」と命名した。ドイツ統治時代終了と共にこの名は忘れ去られ「セピック」と言う名前が広く使われるようになる。「セピック」博物館に所蔵されている古いガラムート木彫りのお面
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