パプアニューギニアガイドブック
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歴 史4●先史時代 ニューギニア島に人々が移動してきたのは5万年前の氷河期時代に遡る。スマトラからインドネシアの島伝いに、あるいはカリマンタン島を経由して移住してきた人々が、ニューギニア全土に定住するようになったのは紀元前8000年ごろからと云われている。当時はオーストラリアと陸で繋がっており、さらに南下して行った人々がアボリジニと呼ばれるようになった。 紀元前9000年頃、ニューギニア島の高地に住む人々は既にサゴヤシの実、パンの木、バナナ、ヤムイモ、サトウキビなどを植えていたらしい。●ヨーロッパとの接触 記録では、最初にニューギニア島に上陸したヨーロッパ人はポルトガル人のメネセスで、1526年となっている。上陸したのはニューギニア島の北西部の龍の頭の形をした半島である。ヨーロッパからの本格的な進出は大航海時代を迎える16世紀からで、1545年にスペイン政府が統治宣言を行った。しかし、この宣言は形式的なもので実際には統合されず、1660年にはオランダ東インド会社が島の一部を占有した。●植民地の時代 19世紀に入るとヨーロッパによる植民地化競争が激しくなり、1824年には英国とオランダが西側の覇権を巡って衝突、1828年に英国の撤退で一時的な解決を見た。1882年、ドイツが積極的な植民地政策を進めたことに英国が反発し、オランダを含めた3国間での調整が図られた。その結果、1884年9月、ニューギニア島の3分割が決定した。西地区はオランダ、南東部は英国、そして北東部は最初に領有を主張したドイツの権利が認められた。東西の分割は、この時点でヨーロッパ人が進出していない山間部で線引きがなされた。 北東部の占有を主張したドイツは、その後15年間この地で植民地経営を行ったが、経営は失敗に終わり、1899年にニューギニア島の東に浮かぶビスマルク諸島へと拠点を移した。一方、英国は、1888年総督となったマグレガー卿が警察組織を創設するなど安定した植民地経営を行った。1906年、英国の植民地はオーストラリア政府に引き継がれ、オーストラリア領パプアとなった。●第1次世界大戦 1914年、第1次世界大戦の勃発により、英国はオーストラリアに対しニューギニアのドイツ領への占領を要請し、同年9月、オーストラリア軍はニューブリテン島のドイツ軍司令部を占拠したが、ドイツ領を完全に掌握するまでにはなお、6ヶ月を要した。 1920年、国際連盟はドイツ領ニューギニアの統治をオーストラリアに委任した。これによりニューギニア島の東半分は正式にオーストラリア領パプアニューギニアとなり、積極的な開拓が行われることになった。1927年から30年に掛けて、オラン

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