産 業主な都市や街55花のプランテーションを試みたが、入植者の多くがマラリアなどの疫病で亡くなったことから、1899年に本社をハーバースホー(現在のニューブリテン島ココポ)へ移すことになった。マダン中心地では今も当時亡くなったドイツ人の墓をみることができる。 1918年、第一次世界大戦でのドイツ敗北の後、マダンは国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となった。太平洋戦争では日本軍が一時占領したが、連合軍との激しい戦闘の後、連合軍に奪還された。 農業ではマダンはカカオとコプラの生産で全国3位、ラム渓谷を中心とする畜産(肉日本軍の爆撃機の残骸ドイツ人の墓牛生産)はモロベ州に次ぎ全国2位。また食品加工を中心に国内大手企業が大規模な工場を展開しており、マグロ缶詰メーカーのRDツナ缶詰(RD Tuna Canners Ltd.)、主に肉の缶詰メーカーのジェイムス・バーンズ(James Barnes PNG Ltd.)、タバコメーカーのブリティッシュアメリカンタバコ(British American Tabacco PNG)、サトウキビに加えてパーム椰子のプランテーションや畜産を展開して総合食品生産業者となっているラム・シュガー(Ramu Agri Industries Limited)、中国系の資源会社ラムニッケル鉱山(Ramu Nickel Mine)などが操業し、雇用の受け皿となっている。なおラムニッケル鉱山は有害物質を含む大量の泥を垂れ流したため海が汚染され、2019年マダンの魚の捕獲・売買が禁止され地元民の生活に大きな支障をきたし、鉱山は一時操業停止に追い込まれた。マダン(Madang) 州都マダンは南太平洋の真珠とも呼ばれた美しい街で、クルーズ船の寄港も多く、スキューバ・ダイビング、サーフィンを含め、観光事業も大きな収入源となっている。 1998年に開校したカトリック系大学であるディバイン・ワード大学は国内最大規模の私立大学で、ジャーナリストや観光学部など社会科学系が有名な他、薬学部や看護学部も併設され総合大学へと変貌し
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