産 業教育研究施設49ゴールドラッシュでオープンしたブロロの宿パインロッジへ進み、それまで原住民がいないと言われていたハイランド地方まで分け入り大集落に遭遇、これが大発見となり探検家としての名声を得た。 太平洋戦争では、日本軍は連合軍の基地であったポートモレスビー攻略を視野に入れて1942年3月にサラモアとレイを占領、ニューギニア島北岸戦線の航空基地とした。 その後、日本軍第51師団は1943年9月、ラエ・サラモアの戦いで敗れ、標高4000mを超えるサラワケット山脈からフオン半島の北部のキアリへ敗走したが、十分な食事、登山装備を持たなかったため多くの将兵が餓死、転落、凍死した(サラワケット転進)。その後も連合軍の反攻は容日本軍港のあったサラモア赦なく、日本軍はフィニステール山脈を縦走してマダン方面へ逃れた(ガリ転進)。 州都レイはパプアニューギニアの産業拠点として、セメント、清涼飲料水、ビール、石鹸、塗料、化学製品、ガラス・金属製品加工業など多くの製造業が本社工場を持つ他、缶詰工場、砂糖、精米工場などの食品加工業、オイルパーム工場や製材工場、物流や船舶、運輸関連の会社事務所や倉庫が並ぶ。 特筆すべき事業では、レイの国内最大の鶏肉・鶏卵生産会社ゼナック・チキン(Zenag Chicken)、また日系では太平洋セメントがやはりレイで操業している。またワウで金や銀を産出するヒドゥン・バレー鉱山(Hidden Valley Mine)、その隣のブロロでは林業が盛んである。 さらに2020年6月現在、操業申請中であるワフィ・ゴルプ・プロジェクト(Wafi-Golpu Project)は、世界最大規模の金山採掘プロジェクトと言われ期待されている。 レイには南太平洋で唯一の工科大学である国立工科大学 (University of Technology ―通称ユニテック Unitech)があり、国を代表する企業などに優秀な人材を提供している。また電話局関係者の技術訓練を行うテリコム・カレッジ(Telikom College)もある。 ブロロには1962年から林業関係の職業訓練をするブロロ・フォレストリー・カレッジ
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