パプアニューギニアガイドブック
30/114

歴 史28 ポートモレスビー地区の原住民はコイタブ族と言われる。 ここに数百年前に移住してきたのが海洋民族のモツ族で、ミクロネシアが起源と言われている。 モツ族は地上に住むことを好まず、海岸沿いに水上部落を作って行き、現在も水上に暮らしている。 このため先住民との土地を巡る争いは起きず、やがて婚姻関係を通じてモツ=コイタブ族と言うコミュニティを平和的に創り上げていった。 コイタブ族の言語であるコイタ語を話す人口は年々減少しており、消滅していく言モツ族の民族衣装を着た子供モツ族の水上部落語といえる一方、モツ族の言語であるモツ語はモツ=コイタブ族の間で広く話されるほか、モツ語から派生したヒリモツ語が貿易や警察の共通語としてセントラル州、ガルフ州、オロ州、ウェスタン州の確認に広がり、国の共通語の一つともなっている。なおヒリモツ語は1960年代には警察官、公務員を中心として共通語として広く使われていたが、現在では英語とピジン語に押され、特に他州からの移民の若い世代では全く使われなくなっている。 降水量が少なく土壌が貧弱なポートモレスビーは農業に適さず、モツ族は素焼きの土器を作り、これらをガルフ州などの村々と交易して食料と交換していた(ヒリ交易)。ヒリ交易では大型の帆走カヌー「ラガトイ」を作り、毎年6月頃から吹く南東の貿易風(ラウラバダ)を利用して遥か西の村々へと旅立って行った。 素焼きの土器は保存食であるサゴ(サゴ椰子のでんぷん粉)等と交換され、11月に風向きが北西のモンスーン風(ラハラ)変わるとラガトイは帰路に就いた。帰路は重いサゴを積んで不安定なうえに、しばしば海が時化、多くのラガトイが遭難して乗員が亡くなっていたので、女性たちは家族の帰りを心配して待ち続け、ラガトイの姿が見えると喜びに踊ってこれを迎えた。 ポートモレスビーの名は、1873年にイギリス海軍提督のジョン・モレスビーが発見し、父であるフェアファックス・モレスビーに因んで2つの入り江をフェアファッ

元のページ  ../index.html#30

このブックを見る