パプアニューギニアガイドブック
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歴 史103 マヌス州はパプアニューギニアの最北端に位置し、200以上の島からなる島しょ州で、800kmにわたって赤道に面し、面積・人口の面で国内最小の州である。 その中でマヌス最大の財産は高い教育を受けた優秀な人材で、ポートモレスビーや他の町で仕事をし、故郷に仕送りをしている。中央政府の官僚もマヌス出身者は人口比からすると他州よりも遥かに高い。マヌスの就学率は国内トップ、識字率でもNCDに次いで2番目という高さである。 儀式用の割れ目太鼓である「ガラムート」が奏でる16ビートのリズムに乗って軽快なステップを踏んで踊るマヌスの伝統的な踊りは「マヌス・ダンス」と呼ばれ、パプアニューギニアの数ある民族舞踊の中でも個性的で有名である。 1884年にドイツ領ニューギニアの一部となったマヌスは第一次世界大戦後、オーストラリアによる委任統治領であるニューギニアの一部となった。太平洋戦争では日本軍が占領したが1944年にマッカーサー元帥に率いられた連合軍が奪回、マヌス島に隣接するロス・ネグロス島のシーアドラー湾に港湾設備や飛行場を含む基地を建設した。連合軍はここからニューギニア島の戦いやフィリピンへの反攻を開始した。この基地は戦後オーストラリア海軍の基地となり、後パプアニューギニアの独立に伴って同国軍ロンブルン海軍基地となった。マヌス州の美しい海ガラムートで踊る子供日本政府の慰霊碑マヌス州(Manus Province)

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