ガソリンスタンドやスーパーが入っているネコ・プラザは日本統治時代のパラオ公園の跡。(写真提供:ベラウツアー)コラム アバイ(パラオの集会所)は、パラオを代表する文化財。建物には、それぞれの地域の歴史等をもとにした装飾が施されている。アイライのアバイは国内最古のものとして知られ、建物にはアイライ州の歴史に基づいた装飾が施されている。アバイは他にもアイメリーク州、マルキョク州、コロール州で見ることができ、特に1990年に再建されたコロール市内のパラオ国立博物館内にあるアバイには多くの観光客が訪れる。アバイ占領し、1920年からは国際連盟によって日本の委託統治領となった。日本はその後、第2次世界大戦終結までの31年間統治した。コロールには現在の北マリアナ諸島、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島を管轄する南洋庁の本庁が設置され、パラオは教育から産業育成に至るまで南洋統治の中心地として繁栄した。 その背景には、日本からの移民(多くは沖縄出身者)の活躍があり、彼らはリン鉱石採掘、農業、漁業など様々な分野の生産に従事した。日本人の人口は1937年に11,391を数え、パラオ人の約3倍に達したと言われている。 第2世界大戦の最終段階には、パラオの日本軍施設が連合軍の爆撃目標になり、戦艦、戦闘機、軍施設が徹底的に破壊された。●独立への道 1947年、国連はパラオを含むミクロネシアをアメリカの信託統治地域とし、アメリカは同地域を戦略的要衝と位置付けた。1969年からはミクロネシア各国の政治地位をめぐる交渉がアメリカとの間で始まったが、軍事的権益を求めるアメリカ側と完全自治を求めるミクロネシア側の交渉は難航した。 1977年にミクロネシア憲法が起草されたが、パラオは翌年の住民投票で、これを拒否してミクロネシア地域の統一国家から離脱することを決定し、1981年にパラオ憲法を施行して自治政府を発足させた。 1993年11月に懸案であったアメリカと4
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