フィジーガイドブック
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ゼーションの影響を受け、伝統的な自給自足経済も徐々に変化し、経済の発展と共に都市部を中心に貧富の差が拡大している。伝統的な村社会を捨て都市部に流入する人口の増加が続き、自給経済から離れることで貧富の差が広がり、それに若年層を中心とする失業者の増加が深刻な問題となった。 2000年5月のクーデターは発展しつつあった経済に大きな打撃を与えたが、程なく観光産業、建設業が急速に回復、観光客数も右肩上がりで増え2017年には84万人を超えるまでとなった。一方、伝統的な砂糖産業は近代化に遅れ徐々に国際競争力を失っている。2006年12月のクーデターによる経済への打撃も極めて大きく深刻なものであったが、2010年以降は順調な経済成長が続いている。 フィジーの人口は2017年のフィジー統計局統計で88.4万人となっている。その約半分が27.5歳以下の年齢層に属する。居住地域については、人口の約56%が都スバのマーケット(写真提供:Pehicle Tours)市部に生活している。全人口の81%がビチレブ島に、15%がバヌア・レブ島、残り4%がその他の島で生活している。フィジーは多民族国家で、インド系やヨーロッパ系及び中国系などを除く先住民系フィジー人は全体の約半数である。また、フィジアンといっても一言で総括することは難しく、文化的にも身体的にもメラネシア、ポリネシア、ミクロネシア、ヨーロッパ、アジア等地域の多彩な影響を受けている。それは複雑さだけでなく、生活や文化に豊かさをもたらしている。●先住民系住民とインド系住民の確執 前述したようにその数は拮抗しており、これがフィジーの社会問題の原因ともなっている。2007年の調査では先住民系56.8%、インド系37.5%。インド系フィジー人は比較的都市生活者が多いため、スバやナンディの都市部を訪れた観光客は、インド系フィジー人の割合が数字よりも高く感じられるかもしれない。 フィジーにインド系フィジー人が多い理由は、1879年にサトウキビ栽培のため同じ英国の植民地だったインドから労働者が植民したことに始まる。労働意欲が旺盛で確固たる経済観念を持つインド系フィジー人はよく働くことから使用者側の英国人に受けが良く、インド人の移住者は増え続けることになった。インド人が植民してから91年後の1970年、フィジーが英国から独立した後もインド人はフィジーに留まりインド系フィジー人社会は膨張し続けた。7人口と人々

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