フィジーガイドブック
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BRフィジー航空Sウエストパック銀行WNSESH0SBHロイヤルホテルH レブカの町は1874年から約8年間、フィジーの首都として英国の総督府が置かれ、首都がスバに移るまで行政の中心地として栄えた。レブカにヨーロッパ人が訪れるようになったのは1800年代の始めで、白檀の貿易商が水と食料を補給するため訪れた。1830年代になると、フィジーの女性と結婚したヨーロッパ人たちが、レブカの首長の保護の下、ナマコやウミガメ、ヤシ油の貿易を行った。その後、約40年にわたってヨーロッパからの入植者が増え続け、貿易の基地として発展を遂げた。19世紀中頃から末にかけて、レブカには3,000人ものヨーロッパ人が居住、1875年には、南太平洋地域では最初のフリーメーソンのロッジが建設された。その当時ホテルの数だけでも52を数えたという。50 レブカの小さな町は人で溢れるような状況であったが、海と山に挟まれた地形が影響して町を拡大することができなかった。19世紀の終わりには貿易の一部がすでにスバに移っていたこともあり、政府は1882年、首都のスバ移転を正式に決定した。●レブカを歩く レブカの町の建築物の多くは1888年と1905年のハリケーンの直撃で破壊されたが、旧首都の面影を残すいくつかの建築物が残っている。町の外れにある桟橋から南へ10分ほど歩いた海沿いに白い碑がある。1874年に英国の植民地となったことを記すもので、領土引渡しのサインをした場所(Deed of Cession)である。その向かいには、1869年に建てられた旧総督の館と1870年、1970年に建てられたレブカの地方議会がある。 桟橋から北に向かうと、現在のレブカの中心となる。ビーチ・ストリートに沿って北に行くと、1868年に建てられたモーリス・ヘドストロム商会がある。現在はレブカのコミュニティー・センターとなっており、博物館と図書館が併設されている。そCession Site (写真提供:Pehicle Tours)レブカ公立学校100200mレブカ・メソジスト教会ミッション・ヒル戦争記念碑メソジスト教会地方議会パターソン・ブラザーズシッピングマーケットオールド・キャピタル・イン―2市役所オバラウ・クラブ警察署セイクレッド教会オールド・キャピタル・イン―1メリスト・コンベント・スクール薬局・雑貨国立銀行カフェ・レブカコミュニティ・センター郵便局缶詰め工場ナサウ公園レブカLevuka

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