ツバルガイドブック
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ル人の祖先はサモアあるいはトンガから移住してきたポリネシア系の人々である。それに加えて、キリバスからミクロネシア系の人々も移住してきたと考えられる。かつて、人々は土地を共有するいくつかの集団ごとに暮らしていたなど、島それぞれに独自の慣習が存在していた。●ヨーロッパとの接触 1568年にスペイン人探検家メンダーニャによってヌイ島が、1595年にはニウラキタ島が発見された。以降、1781年にスペイン人探検家モーレルがニウタオ島(ナヌマンガ島という説もある)及びナヌメア環礁を発見するまではヨーロッパ人との接触は記録されていない。1819年から25年までの間に、ヨーロッパ人船長によりフナフティ環礁、ヌクフェタウ環礁、ニウラキタ島(再発見)、ヌクラエラエ環礁、ナヌマンガ島、ニウタオ島、ヌイ島(再発見)、バイツプ島が次々と発見される。1850年から75年までの間に、ペルー、タヒチ、ハワイなどへ労働力として人々が強制的に連行され、島の人口が激減した。1819年、アメリカ人商人デ・パイスターが現在のフナフティ環礁を船の所有者の名前にちなんでエリス島と命名し、その後、9つの島全体がエリス諸島と呼ばれることになった。1865年にキリスト教がサモア人宣教師によってもたらされた。●植民地時代 1892年、エリス諸島として北隣のギルバート諸島(現キリバス共和国)と共に英国の保護領となった。1916年にギルバート・エリス諸島植民地として英国の植民地となった。●太平洋戦争 ギルバート諸島を占領した旧日本軍を攻撃するために、1942年、米軍はフナフティ環礁、ヌクフェタウ環礁及びナヌメア環礁に滑走路を含む米軍基地を建設した。フナフティ環礁の住民はそれまで居住していたフォンガファレ州島からフナファラ州島等に疎開した。旧日本軍の爆撃によって、フナフティ環礁の教会が破壊され、ツバル人男性が一人亡くなった。●独立への道 戦後、英国政府はギルバート・エリス諸島の植民地行政府をギルバート諸島タラワ4

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