4ポウ(Tupou)姓を継承し、第19代トゥイ・カノクポルとなるとともに、国王ジョージ・トゥポウ1世となった。内戦により命を落とした第16代トゥイ・ハアタカラウア以後、トゥイ・ハアタカラウアのタイトルの正式な王位継承者がいなくなっていたことに加え、1865年の第39代トゥイ・トンガの崩御を機に、トゥポウ1世はトゥイ・カノクポル以外の2つの王位を廃止し、トンガを統一した。トゥポウ1世の後を継いだトゥポウ2世が45歳の若さで没すると、当時18歳だったマフィレオ・ピロレブが王位を継承し、サーロテ・トゥポウ3世として王国を統治することになった。サーロテ女王は1965年、長く病床にあったニュージーランドの病院にて崩御されたが、今でも国民に親しまれ、サーロテ女王が作った歌は、現在でも歌い継がれている。●トゥポウ4世と民主化運動 1965年のサーロテ女王の崩御により、その長男シャオシ・タウファアハウ・トゥポウラヒがタウファアハウ・トゥポウ4世として王位についた。トゥポウ4世は、直系の第22代トゥイ・カノクポルであると同時に、父トゥンギを通じてトゥイ・ハアタカラウアの血筋を引いており、妻となったハラエバル・マタアホ王妃はトゥイ・トンガの血筋を引いていたことから、その子女たちは複数の王朝による統治となって以来初めて3王朝全ての血統を有したことになる。 1970年にはトンガはイギリス連邦に加盟し、1900年から続いたイギリスの保護領時代に終止符を打ち独立国となった。1990年代に入ると、国民の間から民主化を望む声が大きくなり、議会にも民主化促進に賛成する動きが見られるようになった。1992年には「民主主義支持運動」の名で政治グループが組織され、議会でも平民に割り当てられた議席の過半数を占めるなど影響力を有するようになっていった一方で、平民総議席数と同数を有する貴族議員により、民主化運動には歯止めがかかっていた。2006年11月にヌクアロファ市街地で発生した暴動騒ぎは、政治体制改革の遅れに抗議した民主化推進派によるデモに端を発し、政治的背景を持たない若者が合流して広がったと伝えられている。●トゥポウ5世による選挙制度改革 2006年9月にトゥポウ4世の崩御を受け、その長男がジョージ・トゥポウ5世として即位し、2008年に戴冠式が執り行われた。式典には各国の王室等からも要人が出席し、日本からは皇太子殿下が出席された。トゥポウ5世は国家元首としては留まりつつも、26の国会議席のうち、大幅に平民議員の議席数を増やし17議席とすることを含む、より民主的な選挙制度への改革を承認し、推進した。 新制度による総選挙が2010年に実施され、トンガが新たな時代を迎えた矢先の2011年、トゥポウ5世は病に倒れ、翌年3月に香港の病院で崩御された。●トゥポウ6世の即位と戴冠式 トゥポウ5世は未婚であったため、王位
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