●独立へ 第二時世界大戦終了後は、戦後処理のために1950年までアメリカ軍が駐留したが施政権はイギリスへと戻された。これに対して住民の一部はイギリスよりもアメリカの統治を望み、イギリスの弾圧的施政に反発してマアシナ・ルールと言われる反植民地行動を展開。これが住民たちの民族意識と自治意識の萌芽とされている。 その後、世界的な民族自決と脱植民地化の動きはソロモン諸島にも及んだ。イギリスは太平洋に点在していた植民地を順次独立させる政策をとっており、独立までの手順は平和裏に進んだ。ソロモン諸島は1970年代初頭に選挙による評議会を設置、1976年に自治政府を発足させ、翌1977年に独自通貨を発行、1978年7月7日に英国女王を君主とする立憲君主国として独立が達成された。日本による国家承認は、独立と同時の1978年7月7日、ソロモン諸島の国連加盟は同年8月のことであった。●エスニック・テンション(民族紛争)と イギリス統治時代に基礎インフラの整備がほとんど行われていなかったソロモン諸島では、独立後も緩やかな経済発展が進む一方、現金仕事を求めるマライタ島民による、首都ホニアラのあるガダルカナル島への移住が急速に進行した。マライタ人移住者の増加に危機感を募らせたガダルカナル島民は、1998年からマライタ人の排斥運国民和解動を開始、これに対抗するマライタ人グループが武装反攻を行って民族対立が先鋭化する中、政府は効果的な対策をとることができなかった。2000年6月のウルファアル首相監禁事件以降は、国内治安機能も事実上失われ、国内はギャング団が横行する混乱状態に陥った。2003年7月、ソロモン諸島政府の要請を受ける形で、太平洋諸国は豪州を中心に「地域支援ミッション(RAMSI)」を結成、軍、警察、行政専門家を大規模に派遣して、治安回復と国家機能再生プログラムを開始した。武装集団はRAMSIの展開によって投降、また活動を停止し、その後の政府・RAMSI一体となった武装解除、和解プログラムも機能して、ソロモン諸島の治安と統治機能は劇的に回復、再び平穏な国柄へと戻った。こうした状況を受け2013年にRAMSI軍事部門は撤収、2017年6月末をもってRAMSIは解散した。 立憲君主国であり名目上の国家元首はイギリス女王だが、議会が選出するソロモン人の総督が実質的な国家元首の役割を担っている。一院制の議会は普通選挙によって選ばれる50名の議員(任期4年)から成り、国会が首相を選出して首相が閣僚を任命する議院内閣制を採用している。政党の力は弱く、議員間の合従連衡で政権が形成されることが多い。 地方は9つの州と首都特別区(ホニアラ6政 治
元のページ ../index.html#8