7日にかけて撤収、ガダルカナルの戦いは終了した。 ガダルカナル島を失った日本軍は、海軍が中部ソロモン(ニュージョージア島、コロンバンガラ島など)に、陸軍が北部ソロモン(パプアニューギニアのブーゲンビル島とその南のショートランド諸島など)を受け持った。連合軍は、日本軍の拠点ラバウルに向けて1943年6月にレンドバ島に上陸すると、大激戦の末8月3日にニュージョージア島ムンダ飛行場を攻略し中部ソロモンを掌握した。コロンバンガラ島の海軍残存守備隊は9月から10月にかけてブーゲンビル島に撤退、連合軍が11月にブーゲンビル島トロキナに上陸すると、戦線はソロモン諸島を離れ北西へと移っていった。レッドビーチRed Beach 1942年8月7日に米軍海兵隊が上陸した地点。その後は米軍の補給地点となった。海岸には当時の桟橋が残っており、米軍の記念碑もある。アリゲーター・クリークAlligator Creek 1942年8月20日夜半に空港奪還のため最初に派遣された一木支隊約900名が川を挟んで米軍と交戦し、そのほとんどが一夜にして戦死した激戦の場所。支隊長だった一木清直大佐の遺品が発見された地点に記念碑が建てられている。テナル教会Tenaru Village Church イル川(中川)の上流で一木支隊の進撃地点だった。米軍の野戦病院跡が残されている。また「一木支隊鎮魂碑」が建立されている。ホニアラ空港Henderson Airfield 元々は日本軍が建設した「ルンガ飛行場」で、1942年8月7日に占領したアメリカ軍がヘンダーソン飛行場と名付けた。ムカデ高地Bloody Ridge 空港南側にある丘で、ヘンダーソン空港奪還のための川口支隊の突入地点。川口支隊慰霊碑と第二師団慰霊碑が建立されている。平和記念公園Solomon Peace Memorial 激戦の地「ギフ高地」を望むアウステン山(標高400m)にある。1980年、太平洋戦争戦没者慰霊協会により平和を祈願して記念碑が建てられた。その後、2011年に有志の寄付で大改修が行われた。公園23米軍の進撃
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