サモアガイドブック
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5政治経済社会と人々バイイ島から退去することになった。●独立への道のり 1914年、第1次世界大戦が勃発し、ドイツ敗戦により、ニュージーランドが西サモアに進駐した。 第2次世界大戦の勃発によって一時的に米軍が西サモアに進駐したが、1945年にはニュージーランドの施政下で国際連合信託統治地域となった。 1947年には、西サモアの地方自治体が集まり、ニュージーランドの支援を受ける形で議会を設置し、1954年に憲法制定のための初議会が開かれた。 1961年1月、独立に向けての要請を国連に行い、住民投票を経て、1962年1月「西サモア独立国」の名称の下に独立。1997年、国名を「サモア独立国」に変更した。 サモアは立憲君主国家であり、国家元首は事実上代表的な4部族の長の中から選ばれる。現在の国家元首はトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ。国家元首に実質的な権力はなく、国事行為はすべて議会の承認によって行う。政府は、首相と12人の閣僚によって構成されている。 議会は1院制で49議席からなる。1990年の国民投票によって、21歳以上のすべての国民に選挙権が与えられたが、被選挙権は「マタイ」の称号を持つ者にしか認められていない。 サモア独立国の政治の特徴は地方自治の形態にあり、とくに村の単位では、現在でも一族の長を中心とした伝統的な運営がなされている。 ウポル島とサバイイ島、その周辺の小さな島々からなるサモアの経済活動は小規模で、ココナツやタロイモなどの伝統的農業に依存しており、90年代半ばからの経済成長も漁業、農業、観光が大きく貢献した。現在、労働人口の60%が従事している農業のGDP(国内総生産)に占める割合が徐々に減少しつつあり、2004年には、ニュージーランド、豪州、米国に住むサモア人からの仕送りがGDPの19.3%を占め、重要な国家収入になっている。民間企業としては最大企業であるヤザキ・サモアが最盛期には2,000人以上の現地人を雇用し、自動車用ワイヤー・ハーネスを生産しており、サモアの豪州への輸出の殆どを占めている。 サモアの人々は古い伝統に則した社会システムを守っている。そのシステムは厳格であるが、逆に人々は底抜けに陽気な様子を見せている。すべての村には、1日の仕事を終えた人々が集まってくる広場がある。そこで彼らは、キリキティ(kirikiti)と呼ばれるサモアのクリケットやバレーボールを楽しむ。人々は歌を愛し、1日中でも歌って飽きることを知らない。そして日曜日に

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