ナウルガイドブック
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N0空3地 理気 候ジェイレストランNibokMoon river RestaurantDenigomodu旧漁港カンティレバーAiwoDIGICELシビックセンターBoe港政府庁舎Gagab Channel1kmエワロッジEwaAnetanBaitiUaboeAnabar残土の山AnibareBuadaブアダラグーンクリスタルキッチンYarenMenengメネンホテルメネンプロテスタント教会Ijuwアニバレ湾新漁港The BayRestaurant発見され、1900年代に入ると本格的に燐鉱石の採掘が始まるようになった。1914年に第一次世界大戦がはじまると、その11月にはオーストラリア軍により占領され、大戦後の1920年にナウルはオーストラリア、ニュージーランド、英国による国際連盟の委任統治領となった。 その後、1941年12月の太平洋戦争勃発直後より、日本軍が爆撃を始め、1942年8月にナウルを占領した。1943年6月には日本軍により約1,200名のナウル人がトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)での労働力として強制移送が行われた。移送された者達の中には、後にナウル初代大統領となるハマー・デ・ロバードも含まれていたという。 1945年8月に太平洋戦争が終結すると、翌1946年1月31日にはトラック諸島より737人のナウル人が帰還した。そして1947年11月、ナウルはオーストラリア、ニュージーランド、英国の3国を施政国とする国際連合信託統治地域となった。この信託統治は実質的にはオーストラリアによるものであった。 その後徐々に採掘による国土の荒廃や採掘料支払の問題から独立の機運が高まり、1968年1月31日についにナウル共和国 として独立することとなった。初代大統領にはデ・ロバードが就任した。 1つの島からなっており、140~280mの幅で帯状に平地が島の周りをめぐっている。島の中央部は海抜60mに達する燐鉱石からなる台地となっている。既に燐鉱石の大部分は採掘され、残された珊瑚柱が一面に広がっている。 気候は熱帯性気候で、気温は一年を通して日中は27℃~32℃、夜間は25℃と高いが、海風により熱さは和らいでいる。一年の大半は東からの貿易風が吹く乾期であり、11月から2月の間は西風が吹いて雨期となる。平均湿度は80%。 年間降雨量の平均は1,500mmである

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