マーシャル諸島ガイドブック
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4マーシャルとギルバートが島々に入ってきた。これがマーシャル諸島と呼ばれるようになったきっかけである。英国船は1707年にブリタニア号、1803年にローラ号、1809年にはエリザベス号が寄港した。 英国に続いて、ロシア船ルリック号が1816年から23年にかけて訪れ、船員だったアーティストのルデュウィグ・クリスと自然学者のアベルバード・ボン・チャミッソの指導により、マーシャル諸島で初めて水路学・植物学・動物行動学の研究が行われた。●捕鯨船員/宣教師の時代 1800年代前半に捕鯨船がマーシャルを訪れるようになったが、1850年ごろから灯油が普及し始めたと同時にクジラの油・捕鯨は廃れていった。 1857年には最初の宣教師の一行がハワイから到着した。宣教が開始されたのはエボン環礁だった。宣教師たちは徐々に活動範囲を広め、19世紀の終わり頃にはすべての環礁に教会を建てた。今日、キリスト教文化はマーシャルの重要な部分となっている。●ドイツによる統治 1859年、ドイツ人アドルフ・カペルはサモアからエボン環礁に到着し、ポルトガル人ジョー・デブルムと提携してマーシャルで初めての貿易会社(ジャルート・カンパニー)を設立、ヨーロッパ人として最初の移民となった。 1885年、ドイツはマーシャル諸島を保護領とすることを宣告したが、1906年に行政府を設置するまでは、ジャルート・カンパニーが貿易会社と植民地管理局という二つの仕事をこなしていた。当時は、首都をジャルート環礁のジャボールに置いた。第一次世界大戦の敗戦により、ドイツの支配は29年間で終わった。●日本による統治 1914年、第一次大戦が勃発すると、日本はマーシャルを含むドイツ領ミクロネシアの島々を占領し、統治を開始した。ドイツの統治時代から、日本はコプラなどの実質的な取引を行っていたこともあって、植民地政策を急速に推進した。また、人口の増加していたジャルートとマジュロを拠点とし、ジャルート・カンパニーを南洋貿易会社と改名して運営を続けた。1920年に国際連盟より日本のミクロネシア委任統治が認められた。1933年、日本は国際連盟から脱退し、環礁を利用した強大な太平洋の要塞化を開始した。●第二次世界大戦 第二次世界大戦が始まるとマーシャルにも戦火が広がった。1944年2月、ミク当時を偲ばせる輸送船の残骸

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