2006年12月、バイニマラマ国軍司令官は行政権の奪取と非常事態宣言を施行し、無血クーデターを断行した。 2007年 2007年1月、バイニマラマ国軍司令官が暫定首相に就任し、暫定内閣が発足した。 2007年 2007年5月、事態の収束等を受け、暫定政権は非常事態宣言を解除した。また、フィジーの民主化に関する共同作業グループが太平洋諸島フォーラム(PIF)に設置され(2007年4月)、民主化に向けたロードマップが策定された。これを踏まえ、暫定政府は2007年10月のPIF首脳会議(於トンガ)において、2009年3月までに総選挙を実施することを公約した。 2008年 2008年6月、バイニマラマ暫定首相は上記公約は実施不可能と表明。 2009年 2009年1月のフィジー問題に関するPIF特別首脳会合(同暫定首相欠席)では、フィジーが同年末までの総選挙日を設定し、かつその選挙日を同年5月1日までに対外的に公表しない場合には、フィジーのPIF各種会合への参加資格停止等厳しい措置を検討するとの内容がコミュニケに盛り込まれた。これに対し、フィジ2009年4月、控訴審判決(バイニマラマ暫定首相率いる暫定政権は非合法であり、大統領に対して、新たな暫定首相(caretaker Prime Minister)及び暫定政権(Interim Government)を任命することを命じたもの)を受け、イロイロ大統領はバイニマラマ国軍司令官を今後5年間の政権の首相に任命し、2014年までに総選挙を実施するよう指示するとともに、現行憲法の廃止(abrogation)及び全裁判官の罷免を行い、出版・放送への制限なども含む緊急事態令を発布した。 2009年7月、バイニマラマ首相は「変化のための戦略的枠組み」(A Strategic Framework for Change:2014年9月の総選挙実施に至るまでのロードマップ)を発表。このロードマップにより、2012年9月から2013年9月にかけて新憲法を策定し、2013年9月から約1年間かけて総選挙準備を行うとした。 2009年9月、フィジーは英連邦閣僚行動グループ(CMAG:Commonwealth Ministerial Action Group)が求める民主化プロセスに応じなかったため、同日付でフィジーは英連邦から完全に資格を停止(fully suspended)された。 2012年 2012年1月、バイニマラマ首相は緊急事態令を解除した。 2012年3月、2013年の2月末までに新憲法を策定するプロセスについて発表しめた複数政党内閣を組閣し、フィジー系、インド系の対立の改善をはかる姿勢を見せたものの、2000年の議会占拠事件関係者への恩赦等をめぐり、同関係者の徹底的糾弾等を求めるバイニマラマ国軍司令官との対立が同年10月頃から深刻化。 ー政府は、「選挙制度改革が先決であり選挙はその後である」との立場を主張し、2009年5月1日までに上記コミュニケに沿った行動をとらなかったため、翌2日からフィジーのPIF関連会合への参加資格が停止された。 123
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